今年の年初、中国政府教育部に属する人民教育出版社にて、私(成人男性担当)と長男(男の子担当)とで日本語教科書の音声協力をさせていただいた。この教科書は中国政府教育部が中国建国以来はじめて発行する小学生向け日本語教科書。各小学校の校長先生が第二外国語を日本語と決めるとこの教科書が使用されるとのこと。
雲南省の子供が私の子供の「あいうえお」をまね、山西省の小学校の教室で私の「かえるピョコピョコ、、、♪」が響く。こんなに名誉なことはない。
折角なので海淀区にある人民教育出版社の書店で現物を購入させていただく。感慨深いと同時に得体の知れない居心地の悪さを感じた。これは義務・責任といったものに近い。この義務・責任に応えるためにも日本語教育の勉強することを決意する。
(1)日本語教育の方法論の学習
日本語教育とは、外国語としての日本語の教育を指す(母語としての国語教育とは異なる)。単に言語としての教育に限らず、社会・文化・地域・教育法などを含む学問的・学際的要素を含む教育を含む。日本語教師と名乗るために絶対的な資格は存在しないが、「日本語教育能力検定試験合格」或いは「文化庁指定の420時間のシラバスを履修」といった能力の客観化が行われているとの事である。
しばらくは北京にある日本国際交流基金会の図書館で借りてきた日本語教育の書籍を熟読し、日本語教育を体系的に理解するところから始める。
(2)日本語教育の実践
教育のような相手が存在するスキルは、とにかく場数を踏むことが最も効率的なスキルアップ法である。プロではない素人の私であっても、「日本人が話す日本語」の需要はある。
幸い北京には日本語学習をしている大学生が多数いるようで、頻繁に「中日交流会」を開催されているとのこと。中年のおっさんで迷惑がられるかもしれないが、日本語教育の現場に積極的に足を運ぶことにする。
(3)日本語のボイストレーニング
中国における日本語の基準となった者の責務???として、自己の日本語の発音のレベルアップを意識することは必須であろう。
簡単でないことは理解している。プロにマンツーマンで習う等の多大なリソース(金と時間)を使わなければならないであろう。ただそれだけ価値のあることだ。
(総括)
新たなライフワークを見つけたような気がする。
勘違い、うぬぼれ、茶番、と呼ばれても構わない。他人に仁義を切る必要はない。プロセスなんてどうだって良いし、中長期的展望なんてあるわけない。
でも、やってみる。
<人民教育出版社>http://www.pep.com.cn/
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