1.親父
当時の私は英文添削サービスの運営をしていると同時に、大学の研究室に在籍し修士論文の準備もしていた。
旋盤やフライス盤を使って実験設備の製作をしたり、ワークステーションを使ってプログラミングをしたりと、普通の院生に混じって日中は過ごしていた。夕方以降は、ガーナとの交信、顧客対応、各種書類の作成でいつも気がつくと朝を迎えていた。
徹夜がデフォルトになり、段々と正常な思考が出来なくなってきていた。
メールソフトを立ち上げる前に気持ちを落ち着かせるために何度も深呼吸。鳴るはずもないガーナからの電話を寝ずに待ったりもした。人間不信に陥り人と話せなくなっていた。
頼れるのは家族だけ。親父に「このまま院生を続けるか、それとも事業に集中するか」を相談した。工業高校の進路指導を長年やっていた親父、卒業生からは絶大な支持を得ていた。実の一人息子から相談である、きっと良いアドバイスをしてくれるに違いない。
自分で決めろ
と一言だけ。微塵のヒントすらくれない。院生の道と事業の道とのメリット・デメリットくらいはアドバイスしてくれることを期待していただけにショックは大きかった。
後日、親父に当時の話を聞いてみた。「どっちが良いか」の選択など悩みなどではない、自分で勝手に決めればよい。当時の私には「どっちが最悪でないか」という選択が迫られるくらいの切迫感が未だなかった、とのことである。アドバイスを求めているのではなく便利な言い訳を求めている意志薄弱なズルさがあったそうだ。
もちろん、親父の知識や経験からすると私へのアドバイスなどたやすいことだっただろう。実の息子の進路である、干渉したくなる気持ちは小さくなかったと思う。
それを敢えて「自分で決めろ」と言った親父、息子の将来を案じる親父なりの対応だったのだろう。私もこういう親になりたい。
2.サマーハットで見た夢
失敗
今だから言える。だが当時の私には「失敗」などありえない。ビジネスコンテストでは大賞をとり、マスコミにも取り上げられていた。
「若いのに頑張っているな」「その発想は素晴らしい」「行動力に感心するよ」
スポットライトの中心にいた自分のイメージしかない中で、失敗した自分、能力の無い自分というものが全く受け入れられなかった。
しかし、世の中は残酷である。
積みあがる未処理の英文原稿を見ながら気づいた。
ガーナの先生に収入の機会を
サマーハットで思いついたこの高尚な目標は私の中から完全に消えていた。その時、英文添削サービスを辞めることを決心した。
事業を通じて、日ごろ会えないような沢山の人たちと会った。沢山の経験もした。しかし事業を閉じる時はあっけないものである。ガーナ側に事情説明と謝罪の電話一本とメール一通で終わった。
誰からも惜しまれることはなく、誰からも気にも留められず、英文添削ビジネス、廃業である。
サマーハットで見た夢は幻だった。
コメント